心の底の女の子に気付くために必要とされる不幸の大きさときたら

マブラヴオルタネイティブには個人的な意味合いを感じる。

「自分には理解できないものに蹂躙される話」

である。

 

BETAってのは理解できない他人・社会そのもの。

立ち向かうための戦術機は人間よりも機械の方にシンパシーを感じる生き物としての在り方の投影。

 

人間を理解できず機械を好ましいと思うタイプの人間が他人や社会に蹂躙された現実のオルタナティブな話として魅かれたということ。

 

まあこれは自分がそうであった、という分析話であるが。他の人には他の話に見えるだろう。優れた話はあっちからもこっちからも見ることができる重層さを持っているものだから。

 

まあせっかくだからいくつか書いとくか。

 

BETAは機械に蹂躙される人間としての尊厳としても取れる。まあ普通はこっちの意味合いだろうね。

オルタ世界でのBETAに対応するのが増え続ける機械。

奪われる仕事、獲得できたはずの経験、大人になれたはずの自分が脳だけの生き物として培養される。

脳化の行き着く先だね。脳だけってのは。

 

好きな男の子と結ばれるためなら世界全てに呪いを振りまいてでも、という話でもある。たとえそれが男の子に不幸を味あわせたとしても、それでも自分を見てほしい。好きな人に愛してほしい、そのためならば自らを地獄絵図に落とし込むようなことさえやるという、まあずいぶんな話だ。

私はここにいる、ここにいることに気付いてほしい。

ただそれだけのために必要とされるものの巨大さときたら。失われなければいけないものの大きさと言ったら。ありとあらゆる全てを釜の中に放り投げてそれを全てぶちまけるようなことをしなくてはいけない。

 

心の底にいる女の子に気付くために、人生全てを投げ捨てる必要がある。

幸福とはその女の子に気付くことで、それなしの「幸福」などというのは所詮薄っぺらいものにすぎない。

 

呪いに等しい感情を持った時人はどうすべきなのか。

自分そのものよりも呪いを優先しなくてはいけない。

それが幸福なのかどうかはわからない。

 

たとえ自分の状況がわからなくても、それを見いだせる作品に惹かれるというのはあることなのだ。

なぜそれに惹かれたのかがわかることはあるかもしれないし、わからないままかもしれないけど。

わからないまま解決することだってあるからね。