作品と現実を混ぜるな、混ぜると作品が壊れる

真面目な話、破天荒な作品を強引に現実に寄せようとすると破綻するんだよね。

強いスーパーロボットが世界の敵を倒す作品は見ていて面白いけど、現実の理屈にそれ持ってきたらおっかないどころじゃないし。

世界征服できる組織を単機で壊滅させられるスーパーロボットが一個人の正義感によって支えられてるとかどういう意味でも許容できないじゃん?

そのへんうまくぼかして回さないとそもそも作品にならないし。

スーパーロボットをクロスオーバーさせようとしてスーパーロボットの設定の粗をつつきまわすようなことをしてどうすんの?という話。

粗なんてあるに決まってんじゃん、スーパーロボット自体が非現実的なんだから。

それを無理矢理辻褄合わせるために非現実的な設定オタクしか喜ばない理屈をつけてどうすんだとは思う。

横並びにしたがる女と上下つけないと落ち着かない男

女の人は結局女同士の間で序列がつくのを異常に嫌うじゃん。

強い男に従うのはいいし、女同士が平等になるのもいい。

だけど同じような女が立場が上に立つのを嫌うし、弱い女が自分たちと同じ序列に立つのを嫌って排除しようとするし。

女性は女性同士の間では平等を好むけど、それを達成しようとする手段があんまりうまくないよね。

似た者同士でグループ作ってお互いに蹴落とそうとする形になりがち。

慈愛を持ってすべてを包み込むような女性になら素直に従うんだろうけどね。

男の作った社会の序列で上に立ってる女は嫌うわな。

 

まあ男は社会で序列がつくのを当然だと思っていて、平等な関係がわからんところがあるけど。

序列がついてないと落ち着いていられない。

俺が上だお前が下だというマウントを取り合った後でないと人間関係が始まらない。

 

男の関係性は上下で、女の関係性は横並び。

どっちがいいってもんでもないからなあ。

両方を状況に合わせて使い分けるのがいいんだけどね。

家事の簡単化が招いた事態って怖いもんがあるなあ

働く女のスタイルはいいんだけどさ。

家庭で子供産んで育てて生涯を終えるスタイルを否定するような風潮を作ってる時点でもううまくないよなあと。

専業主婦の肩身が狭いのを通り越して、共働きしないと生きていけない段階に入ってるじゃん。

女性の自立って言うのはいいけど、伝統的な女としての生き方を社会で否定していいんだと思わせた時点でねえ。

企業にいいようにこき使われる労働力として扱われるのが「女性の自立」とでも?

 

まあ生活が進化した電化製品で異常に楽になってしまってるのもあるけどね。

専業主婦をやろうにも簡単すぎる。

死力を尽くしてギリギリなんとかなるってラインの仕事ではない。

暇を持て余した主婦が子供に入れ込みすぎて子供を潰したりするし。

 

金で家事が交換可能になってしまっているのならお金を稼いだ方がいいに流れるわな。

 

まあ子育ては金でなんとかなる問題なのかと言うと無理だと思うけど。

金さえあればなんとかなるような問題なら貴族や金持ちの家にダメ人間は生まれないし。

親が死力を尽くして育ててくれたという事実が子供の心に響くわけなので、片手間に育てられた子供が成人した後親にどういう目線を向けるかと言うと怖いもんがあるね。

金だけ出して後はほったらかしってのが日常化するんじゃないのかな。

それがその子供たちに与えられた「愛情」だったんだから。

グリーンカーテンを今年も育てるぞ


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今年もグリーンカーテンをやるぞ。このくらいの時期は成長が目に見えるので一番楽しい。大きくなるともう見分けつかないし。

朝顔ルコウソウ。あと今年は風船かずらやってみてるけどまだ種が出てこない。発芽まで時間かかるみたい。

最後のは甘長唐辛子。シシトウともいう。シシトウは高い苗買ったほうがいい。だいぶ違う。

真夏になると花が止まるのは暑すぎるせいなのかどうか。養液土耕の養液が熱くなってるからかもしれないので、同じ種類の苗を普通の土でも育ててみてる。

最近は変な天気であるが、気温があれば発芽するしその後少し寒くなっても一度芽が出たら育ちが鈍くなる程度だし。

ま、それにしても天候が安定しないね。春がないような雰囲気だし。冬から夏になって行ったり来たりって感じ。

言葉の運用能力ってのは数式でも非常に大事なんだよね

数式を扱うにしたって自然言語の能力が非常に重要なのは変わらないんだよなあ。

その数式がどういうもので、何を表していて、それの定義は何かとか、そういうものは自然言語で書かれてんだから。

日本人なら日本語、外国なら英語かな。

今ではドイツ語やフランス語も英語世界に組み込まれていってるらしいけど、日本語はなんか未だに独自で張る能力持ってんだよね。

日本人の日本語で表現できないものなんてないんじゃーって自負なのかな。まあそんな自覚はないんだろうけど、心の奥底ではそんなこと思ってる感がある。

そして本当にそれを通してしまうんだからなんというかまあすごいわな。

そういう世界言語たる資格を持っている日本に産まれたのはまあ幸運と言っていいね。(世界言語の主力は英語だけど、日本語も化け直す可能性が十分ある。劣勢ではあるが、巻き返しがきくラインはちゃんと保持してんだよね。)

そのかわり言語運用に必要な能力がかなり高いけど。

日本語を自由自在に使えるならどこ行ったってどうとでもなるだろう。

ま、日本語を自由自在に使えるってのが日本人でもいるかどうかって世界だけど。

広さも深さもすごいんだもの、日本語。

 

あと最近気付いていない人多いけど、言語ってのは実際にあるものを表現しようとしてできてるんだよね。(ここでいう「ある」には頭の中にあるものも含める。ドイツ語で言うところの「概念」は「掴むもの」みたいな単語である。頭の中で掴んだものが概念というわけだ。)

当然、表現したいものと、表現された言葉には差異が生じる。

100%言葉にできるわけあるかい、とも言えるけどね。

人によって言葉を見て頭の中で展開する意味合いが違うのは当たり前だし。

何かしらの理論を主張する時、その差異をどうにかして共通化しようとしてもがくのが宿命となる。

誰にも間違えられないように定義をはっきりさせてそれを嫌になるくらい徹底的に周知させなければ話にならんもの。

それでも誤差はどんどん出てくるもんだけどね。

例え話がマジ話として受け取られて誤解を通り越して曲解に等しいものが流通したりするし。

物理的なものなら実物が大正解になるんだけど、全ての実物を全ての人が触れるというわけでもなし。

どこかで誰かが言うからそうなんだろうと了解するしかない。

全てを体験することなんてできないのだから。

重力のエネルギー源ってなにさ

重力のエネルギー源ってなんなんだろうね。

エネルギー保存則が適用されるならエネルギーの帳尻があってるはずなんだけど、どこから?

質量と質量の間で常時引力が働くのが重力だけどさ。そのエネルギーはどっからきてんの?

長い目で見ると質量ってのは重力の分だけ減っていくのか?それとも別次元からエネルギーが供給でもされてんのかね。

集客目当てのスターならいらない

集客目当てにスターされてもね。

もらった時は嬉しいけど、あちこちで同じようなことをしているのを見るとああ、そういう人としか。

中身に共感してくれたものじゃないならいらないかな。